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人間の記録57 丹下健三

人間の記録57 丹下健三

一本の鉛筆から
【※品切れ・重版未定】

 

人間の記録57 丹下健三

カタログPDF

編著者

丹下健三

巻数

全1巻

体裁

四六判・上製・カバー装

本体 1,800円+税
ISBN 978-4-8205-4300-8
刊行年

1997年12月刊

建築設計から都市計画まで幅広い分野で活躍した世界的建築家
新旧東京都庁舎の建築などで知られる国際的な建築家。日本ばかりでなくユーゴやイタリアなどの設計も手がける。

 
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内容構成

  【目次】

生いたち/建築を志す/東大建築科/丹下研究室/都市と建築/海外の仕事/中東諸国/アジアの仕事――そして再びアフリカ・中東/畏友・朋友/フランス・アメリカ/情報化社会における建築と都市

(たんげ けんぞう)
1913 年(大正2) 大阪府生まれ
1935 年(昭和10) 東京帝国大学工学部建築科に入学
1939 年(昭和14) 岸記念体育館の設計を担当
1946 年(昭和21) 広島の都市復興計画を行う
1964 年(昭和39) 東京大学都市工学科の教授に就任
1980 年(昭和55) 文化勲章受章
1987 年(昭和62) 日本建築家協会初代会長に就任
 

 父は銀行マンで、小学校の二年生まで中国の上海で過ごしましたが、四国の今治に帰り、1930年(昭和5)には広島高校理科甲類に入学して寮生活を送ります。
 1938年に東京大学建築科を卒業すると、前川国男建築設計事務所に勤め、1942年に大学に戻って大学院生になりますが、その間、岸記念体育館や社会事業会館の設計を担当して頭角を現し、はやくも天才と謳われました。
 1946年には、東京大学建築科の助教授になり、通称「丹下研究室」がつくられますが、戦災復興院(建設省の前身)の委嘱を受けて、破壊された各都市の復興計画を立てることになったとき、率先して広島の担当を申し出ました。楽しい高校時代を送り、父と母を同時に失うなどの大難を受けた土地だったため、深い因縁を感じたからでした。
 「いま広島に行くと原爆症にかかって死んでしまう、(略)とうわさされていたが、私はたとえわが身が朽ちるとも、という思いで広島行きを志願した」(本書より)
 1949年には、広島平和公園と平和会館の競技設計に入選し、ついで東京都庁の指名競技にも当選しますが、実際に建てられた建造物は、正倉院と伊勢、桂、京都御所など、日本建築に思いを馳せて設計されたといいます。
 1960年代の高度成長期には、東京オリンピックの会場となった国立屋内競技場などの設計を手がけるとともに、海外でも震災を受けたユーゴスラビアの都心部復興計画をはじめ、イタリア、サンフランシスコ、イラン、サウジアラビアの都市計画や地域開発計画を実施するなど、世界各地で現代文明に対する果敢な空間提言を行いました。

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