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清沢 洌選集

清沢 洌選集

 

清沢 洌選集

カタログPDF 内容見本

解説

山本義彦(静岡大学人文学部教授)

編著者

山本義彦:編/清沢 洌:著

巻数

全8巻・別冊1

体裁

A5判・上製・函入・総約4,350頁

本体 揃:130,000円+税
ISBN 978-4-8205-8249-6 NDC311.7
刊行年

1998年07月刊

外交史研究家、ジャーナリスト、自由主義思想家として生涯を貫いた清沢洌初の選集

清沢 洌(きよさわ きよし)
大正・昭和時代前期のジャーナリスト、外交史家。明治23年(1890)長野県北穂高村に生まれる。小学校卒業後、研政義塾に入り、同29年渡米。帰国後、『中外商業新報』『朝日新聞』に入社し、外交・政治の評論に健筆を振う。その後、欧米各地を訪問する。昭和13年、石橋湛山に請われて『東洋経済新報社』顧問となり、自由主義的言論を発表する機会を得る。同16年『外交史』を刊行。同20年、55歳の若さで急逝。『米国の研究』『暗黒日記』など著書多数。

 
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特 色

30冊を超える著作の中から、清沢洌の時代時代を代表する著作(単行本)をほぼ刊行順に収録。著者初の選集

復刻に当たって、新たに山本義彦による各巻解題と清沢例の生涯と思想の全貌を明らかにする解説を付す。

主要著作を含む年譜を編者により新たに作成。

各巻構成

第1巻
モダンガール(大正15年 金星堂)
  一 職業としての結婚
  二 職業としての細君
  三 職業婦人の話
  四 職業としての淫売婦
  五 明治天皇の婦人観(日本の行くべき道)
  六 女の国、米国の話
  七 ハルビンの夜の女
  八 モダーン・ガール
  婦人問題時事
アメリカは日本と戦はず
  序説 日米戦争はあるか
  一 争う日本と米国
  二 米国を裹から観る
  三 日本外交の回顧
  結論 日米戦争なし

 

第2巻
黒潮に聴く(昭和3年 萬里閣書房)
  一 国際日本の創設
  二 太平洋時代へ
  三 米国、舞台に現わる
  四 太平洋に於ける日米関係
  五 ロシアと支那の研究
  六 支那と日本
  七 現代日本の社会と思想
  八 日本の行くべき道

 

第3巻
自由日本を漁る(昭和4年 博文堂)
  一 日本の姿を書く
  二 明日の婦人問題
  三 社会を観る
  四 政治断層の日本
  五 自由日本を漁る
  六 世界は動く

 

第4巻
非常日本への直言(昭和8年 千倉青房)
一 祖国を見つむ
二 史実をさぐる
三 生活御難時代
四 世界を旅す
五 時代精神の批判
六 病める巨象のアメリカ

 

第5巻
現代日本論(昭和10年 千倉書房)
何故に自由主義であるか
 一 現代日本の姿態
 二 不合理時代の自己批判
 三 現代日本の人物
 四 国際日本の解剖

 

第6巻
第二次欧州大戦の研究(昭和15年 東洋経済新報社)
 一 戦争の前奏と背景
 二 戦争突入前後
 三 中立国の動向
 四 戦争関係の人物
  年表/重要事項/索引/口絵

 

第7巻
外政家としての大久保利通(昭和17年 中央公論社)
 一 征韓論を中心に
 二 征台を敢行するまで
 三 日清間の予備交渉
 四 全権弁理大臣として
 五 北京談判の行詰まり
 六 交渉妥結に到る
 七 大久保の心事と政策

 

第8巻
日本外交史 上・下(昭和17年 東洋経済新報社)
 一 幕末開国時代
 二 明治外交の発足
 三 国力膨張時代
 四 国際日本の確立
 五 興亜外交時代
 六 大東亜戦争の外交

 

別 冊
各巻解説・解題(山本義彦)
年表

 

【清沢洌略年表】
1890年(明治23)
 2月8日、信州穂高に生まれる。
1894年(明治27) 4歳
 日清戦争開始。
1891年(明治31) 8歳
 米西戦争。ボーア戦争。
1903年(明治36) 13歳
 小学校卒業。井口喜源治の研成義塾に入学。
1906年(明治39) 16歳
 渡米。排日運動盛ん。
1911年(明治44) 21歳
 日本の「韓国併合」条約。
1913年(大正2) 23歳
 3月、シアトル穂高倶楽部機関誌の『新故郷』第一号に、日米問題で執筆。
1914年(大正3) 24歳
 第一次世界大戦勃発。
1916年(大正5) 26歳
 サンフランシスコ『新世界』記者。
1918年(大正7) 28歳
 8月、帰国。貿易商に入社。
1920年(大正9) 30歳
 中外商業新報初代外報部長。
1922年(大正11) 32歳
 ワシントン海軍軍縮。
1923年(大正12) 33歳
 関東大震災で大杉栄暗殺される。
1924年(大正13) 34歳
 中外商業新報特派員として、中国視察。要人会見記事を新報に連載。
1925年(大正14) 35歳
 処女作『米国の研究』を刊行。
1926年(大正15) 36歳
 『モダンガール』を刊行。
1927年(昭和2) 37歳
 朝日新聞計画部次長となる。
1928年(昭和3) 38歳
 『黒潮に聴く』を刊行。ケロッグ・ブリアン不戦条約。
1929年(昭和4) 39歳
 『自由日本を漁る』を刊行。朝日新聞社退社。8月27日、清沢の提案で二七会が組織される。『転換期の日本』を刊行。
1930年(昭和5) 40歳
 ロンドン海軍軍縮。『アメリカを裸体にす』を刊行。
1931年(昭和6) 41歳
 『不安世界の大通り』、『フォード伝』を刊行。9月18日、「満州」侵略開始。
1932年(昭和7) 42歳
 『アメリカは日本と戦はず』を刊行。「満州国」の成立とリットン調査団。
1933年(昭和8) 43歳
 『非常日本への直言』、『革命期のアメリカ』を刊行。
1934年(昭和9) 44歳
 「現代ジャーナリズムの批判」を講演。『激動期に生く』を刊行。
1935年(昭和10) 45歳
 『混迷時代の生活態度』を刊行。「支那の対日態度を打診する」を発表。『現代日本論』、『世界再分割時代』を刊行。
1936年(昭和11) 46歳
 『ファッションは何故に生まれたか』、『時代・生活・思想』を刊行。
1937年(昭和12) 47歳
 『ソ連の現状とその批判』を刊行。
1938年(昭和13) 48歳
 『現代世界通信』を刊行。
1940年(昭和15) 50歳
 『第二次欧州大戦の研究』を刊行。
1941年(昭和16) 51歳
 『外交史』を刊行。マレー半島と真珠湾奇襲攻撃。
1942年(昭和17) 52歳
 『外政家としての大久保利通』、『日本外交史』を刊行。12月より1945年5月まで「戦争日記」をつける。
1944年(昭和19) 54歳
 11月より1945年2月まで「戦後世界秩序私案」を東洋経済新報に連載。
1945年(昭和20) 55歳
 5月21日、肺炎がもとで急逝。

刊行のことば

『清沢 洌選集』刊行にあたって
山本義彦
(静岡大学人文学部教授)
 清沢例は1890年(明治23)、信州南安曇郡北穂高(現在の穂高町)に生まれ、17才から約10年間、アメリカのシアトルに近いタコマを中心に労働移民として渡米した。その後、米騒動期の日本に帰り、ジャーナリスト、フリ−ランサーとして自由主義と反戦平和を唱える論説や30冊を越える膨大な著作を著し、特に戦時下の記録として貴重な『暗黒日記』(原題「戦争日記」)を残した。彼の思想は、内村鑑三とも親交のあった井口喜源治という、希有な自由主義的教育の祖に学んだ。井口は無教会派クリスチャンでありながら、儒教をもよく学び、「和服のキリスト者」と呼ばれてきた。渋沢は渡米後、シアトルのワシントン州立大学に職を持っていたジョン・デューイの自由主義とプラグマティ。クな教育観をも吸収し、自らを「昭和の吉野(作造)博士」として、「総合の学」たる国際関係論、日米外交関係に目を向けた研究を行った。そしてその成果を生かして、各地での啓発のための講演活動や、しばしば海外の現場を歩いては、膨大な著述を残した。「吉野博士」こそは東京帝国大学教授として大正デモクラシーの旗手であった。
 清沢洌の考え方は、国際平和を実現するには、諸国間の外交交渉において、多様な文化と歴史を前提とした相互理解の重要性と、相対主義的発想の意義を訴えた。そのためには一方的価値観を注入する近代日本の教育と政治の在り方を根本的に転換することの重要性、「教育の国有」「一律総体主義」の意識変革の必要性を強調した。そして社会の半数を占める女性を男性と平等の正当な地位を与えることなしには民主主義が保障されないこと、来るべき戦後の国家原理は言論の自由が保障され、男女平等の実現こそが不可欠であること、軍国主義の跳梁を許す天皇制のあり方を変革することをも示唆した。これらの諸見解は見事に戦後の平和国家、民主主義国家建設の前提として充分に顧みられるべき内容を豊富に織り込むものであった。
 このように、先進的な思想を獲得した清沢は、戦後の国際平和実現のための国際連合に関しても、諸国間の対等平等の実現、強大な諸国による拒否権の不当性、戦勝国による敵国条項の撤廃など、米ソ冷戦体制以後の今日求められる国連改革論にも通じる先見的な見解を表明して、戦争末期の1945年5月惜しくも55才の若さで急逝した。現在、21世紀を前に、これらの思想は私たちによって一層磨きがかけられ、発展させられなければならない。

推薦のことば

第一級のジャーナリスト
田中 浩
(一橋大学名誉教授)
 清沢洌は日本が軍国主義への道を突っ走り始めた1930年代に、長谷川如是閖、石橋湛山らの自由主義知識人と「二七会」(1929年8月27日)を作り、軍閥・官僚の危険な動きを批判し続けた国際的感覚豊かな第一級のジャーナリスト、思想家である。日米開戦勃発の翌年の2月9日から、彼は「戦争日記」(戦後『暗黒日記』として出版)をつづり、戦後日本における国家再建の反省材料としようとした。恐るべき卓見である。しかし、敗戦の三ヵ月ほどまえ、肺炎がもとで急逝し、この日記は中断された(5月5日)。今回、かれの思想的根底を知ることのできる貴重な諸著作全8巻が刊行されることになった。誠に意義ある事業といえよう。


清沢洌の不朽の名作
増田 弘
(東洋英和女学院大学教授)
 今日、清沢洌は戦前・戦中期の数少ない真のリベラリストとして広く知られる。しかしファッショ的思想全盛の当時にあっては、清沢の言論は異端視され、彼の論文を掲載する雑誌もなく、孤立状態にあった。この清沢を招請したのが東洋経済新報社の石橋湛山である。以来ふたりは盟友となった。昭和18年末の清沢の『暗黒日記』には、「戦争を世界から絶滅するために、敢然起つ志士、果たして何人あるか、われ少くもその一端を担わん」とあり、彼の苦痛な叫びが聞こえてくる。
 この度、山本義彦教授により、清沢の不朽の名作が復刻される。そのリベラルかつ精緻な日本外交史論に学ぶべきものは大きい。


●推薦します

坂本義和(東京大学名誉教授)

武田清子(国際基督教大学名誉教授)

松尾尊允(京都橘女子大学教授)

山住正己(東京都立大学総長)

牛山隆康(穂高町清沢洌顕彰会会長)

永沼孝致(穂高町清沢洌顕彰会事務局長)

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