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人間の記録93 古賀政男

人間の記録93 古賀政男

歌はわが友わが心

 

人間の記録93 古賀政男

カタログPDF

編著者

古賀政男

巻数

全1巻

体裁

四六判・上製・カバー装

本体 1,800円+税
ISBN 978-4-8205-4339-8
刊行年

1999年02月刊

不滅の“古賀メロディー”を数多く残した作詞・作曲家
「古賀メロディー」として日本人に親しまれた、数多くの歌謡曲を作り出した作詞作曲家。代表作は「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」など。

 
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内容構成

【目次】

序章〈まえがきにかえて〉 大衆に愛された私ほど幸福ものはいない
第1章〈明治37年―大正元年〉 大衆音楽の素養は貧しい生い立ちの中で育まれてきた
第2章〈大正元年―11年〉 苦闘の朝鮮時代に音楽の天分の芽ばえを見た
第3章〈大正11年―昭和4年〉 音楽への道をひた走った明大時代 そして「影を慕いて」でデビュー
第4章〈昭和4年―8年〉 “出せばヒット”でトップの座に しかしいばらの道の連続だった
第5章〈昭和9年―13年〉 無名のテイチクへ移籍 大会社に仕立てあげて退社
第6章〈昭和13年―20年〉 軍靴響くなか南北米親善使節派遣 やがて敗戦で引退を決意したが
第7章〈昭和20年―45年〉 敗戦でうち沈んだ日本人の心に歌謡曲はともしびとなった
第8章〈交友録〉 朔太郎、惣之助、八十など秀れた詩人との交友に恵まれた
エピローグ 古賀メロディーを歌っている限り日本人はハッピーになれない

(こが まさお)
1904 年(明治37) 福岡県生まれ
1912 年(大正元) 朝鮮に移住
1929 年(昭和4) 明治大学商学部卒業
1931 年(昭和6) 日本コロムビアに入社
1959 年(昭和34) 日本作曲家協会を設立
1968 年(昭和43) 日本作曲家協会に「古賀賞」を制定
1978 年(昭和53) 73 歳で死去
     同年    国民栄誉賞を贈られる
 

 赤貧のなかで八人兄弟の六番目として生まれ育ち、七歳のときに父が亡くなったため、長兄を頼って朝鮮に移住しますが、そこでは労働者たちが歌う哀愁に満ちた歌に聞き入り、親戚からもらった大正琴で繰り返しそのメロディーを弾いていました。
 1923年 (大正12)には志を立てて上京し、 明治大学商学部に入学してマンドリン倶楽部を創設し、 そのリーダーとなり、1928年(昭和3)には東京・赤坂で演奏会を開きました。
 この席には当時の人気歌手・佐藤千夜子を招き、みずからが作曲した処女作「影を慕いて」を歌ってもらいましたが、佐藤がこの曲にいたく感激し、レコードにしたいと申し出てビクターに紹介、作曲家としてデビューしました。
 「私は、まったく驚いてしまった。学生の分際で、いきなりレコードといわれても自信などあるはずがない。しかし、願ってもないチャンスなのでやってみることにした」(本書より)  
 レコードは1930年に発売されましたが、思うようには売れませんでした。ところが、二年後に藤山一郎が歌ってレコードになるとたちまち大ヒット。その後も「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」など、発表する曲が次々と国民の心を捉えました。
 メロディーの特徴は、短音階を基調にしながら日本古来の伝統的歌唱法であるコブシを取り入れたもので、当時全盛を誇っていた中山晋平の曲作りとは明らかに違っていました。
 戦後は作曲活動の奨励に力を入れ、1959年に日本作曲家協会を設立、1968年には同協会に基金を贈り「古賀賞」を制定。さらに、1974年には日本音楽著作権協会の会長に就任し、生涯にわたり歌謡曲の普及と歌謡界の育成に情熱を注ぎました。

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