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人間の記録167 三輪田真佐子

人間の記録167 三輪田真佐子

教へ草/他

 

人間の記録167 三輪田真佐子

カタログPDF

編著者

三輪田真佐子

巻数

全1巻

体裁

四六判・上製・カバー装・244p

本体 1,800円+税
ISBN 978-4-8205-9740-7
刊行年

2005年05月刊

良妻賢母を女子教育の根本にすえ、三輪田学園を創設した女性教育家
女子教育に尽力し、三輪田学園を創立した三輪田眞佐子の思想と人生。1917年日本弘道会有志青年部刊「教へ草」から「経験」を抜粋するほか、「真佐子集」から和歌や漢詩、「三輪田学園百年史」からはその歩みを抜粋し収録。

 
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特 色

三輪田真佐子
1843-1927。京都府生まれ。京都馬路の儒者中条侍郎の娘。少女時代から京都馬路の典学舎で父の代講をつとめる。1866年(慶応2)から1869年(明治2)まで岩倉具視の内殿侍講をつとめた。同年三輪田元綱と結婚、1879年死別。1880年(明治13)より松山において明倫学舎を開き、漢学を教える。1887年に上京して、英学・漢学・数学を教える翠松学舎を開いた。1902年(明治35)三輪田女学校(現三輪田学園)を開校、良妻賢母教育をすすめた。

内容構成

教へ草[四・経験]
(辛酸は我が身の教訓/幼年時代の追想/私の少女時代 ほか)
三輪田学園百年史[第1部・三輪田学園百年の歩み]
創立者三輪田真佐子 女子教育への道[明治二十年-三十四年]/女子教育の実践[明治三十五年-大正十五年])
梅花の賦[真佐子集より]
(漢詩/短歌/長歌 ほか)

 

(みわだ まさこ)
1843 年(天保14) 愛媛県生まれ
1880 年(明治13) 明倫学舎を創設
1887 年(明治20) 私塾・翠松学舎を開設
1890 年(明治23) 東京音楽学校の講師になる
1901 年(明治34) 日本女子大学の教授に就任
1902 年(明治35) 三輪田女学校を創設
1927 年(昭和2) 勲5 等宝冠章を受章
     同年   84 歳で死去

 梁川星厳(やながわせいがん)の弟子で、 岩倉具視(いわくらともみ)にも進講する伊予松山藩の儒学者を父にもち、 幼いころから『四書五経』に親しみ、『左氏伝』の全巻を筆写したり、菅原道真(すがわらみちざね)の本を読んで発奮、母とは石山寺に詣でて紫式部の話を聞くなどして育ちました。
 1866年(慶応2)には岩倉具視の内殿侍講になり、1869年(明治2)には松山出身の三輪田元綱と結婚、遷都のために夫が行幸に従うと、続いて岩倉家の姫君に随行して上京します。

 その10年後、尊敬する夫・元綱が松山で亡くなると、翌年には松山で明倫学舎を開いて門下生を指導するとともに、松山藩の教師も務めました。

 「私塾を開くことが、自分に取つて、唯一の方法であると考へられましたので、人々の留めるのも肯(き)かず、とうとう松山に出て行きました」(自伝より)

 幸い、門人が次々と増え、その後、愛媛県師範学校で教壇に立つなどして1887年には上京。同年、神田に私塾・翠松学舎を開設して漢学を教え、その後も、東京音楽学校の講師などをしながら、日本女子大学の創立に尽力して教授に就任、その間女学校設立の準備をはじめました。

 1902年には、麹町に私財を投じて土地を購入し三輪田女学校を開校。翌年には三輪田高等女学校になり、5年制で、学級数が10室、生徒数が約500人、教職員数18人でスタート。次第にその規模を拡大し、儒教を基本にしながら女子の役割は内助の功にあるとして、『女子教育論』『女子の本分』『新家庭訓』などの著作で良妻賢母教育を提唱しました。

 こうして、長年にわたる女子教育に対する功労によって1912年には宝冠章、1927年には瑞宝章が授けられました。

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