リーディングス 日本の社会福祉 第4巻
特 色
日本の社会福祉分野における研究蓄積の中から、重要論稿を精選・収録。社会福祉分野で初の本格的なリーディングスシリーズの登場。
社会福祉のこれまでのあり方を広い視野で捉え直すために、対象年代は戦後から現代(1945〜2008年)までを中心に設定。
今後の社会福祉研究を考察するうえで必須となる論文を各編者がテーマごとに選択。冒頭には各編者による「序論」を附し、テーマに関する概説とともに論文選定のねらいを明示。各巻ごとに独自の視点で社会福祉の系譜を読み解く。
巻末「文献目録」には、収録論文や「序論」で言及した論文、およびその巻の領域に即した論文を収録し、テーマの全体像を見渡すことが可能。
内容構成
| リーディングス 日本の社会福祉 第4巻 『ソーシャルワークとはなにか』(白澤政和・岩間伸之編著) | |||
|---|---|---|---|
| No. | 論 文 名 | 著 者 | 刊行 |
| 第1部 ソーシャルワークのわが国への定着 | |||
| 1 | ソーシャル・ワーカーの本質的機能 | 岡村重夫 | 1955 |
| 2 | 公的扶助とケースワーク | 仲村優一 | 1956 |
| 3 | 公的扶助とケースワーク−仲村優一氏の所論に対して | 岸 勇 | 1957 |
| 4 | 公的扶助とケースワーク−岸氏の批判にこたえて | 仲村優一 | 1958 |
| 5 | 保健・医療におけるケースワーク | 浅賀ふさ | 1958 |
| 6 | ケースワークの社会学的本質―特に専門社会事業としての考察 | 竹内愛二 | 1961 |
| 第2部 ソーシャルワークの領域別展開 | |||
| 7 | 家族診断とケースワーク治療 | 山崎道子 | 1959 |
| 8 | 家族の緊張と家族診断―価値志向の問題に関連させて | 柏木 昭 | 1961 |
| 9 | 問題家族に対するケースワークの役割と課題−再びパールマンの問題提起をめぐって | 山崎美貴子 | 1968 |
| 10 | 自我心理学がソーシャル・ケースワークに与えた影響 | 杉本照子 | 1968 |
| 11 | 社会福祉的援助活動とはなにか−ケースワーク論の再検討より試論へ | 坪上 宏 | 1970 |
| 12 | 行動理論のケースワークへの応用 | 武田 建 | 1971 |
| 13 | MSWからみた患者像・患者運動 | 児島美都子 | 1973 |
| 14 | 米国における危機介入の現状と課題 | 荒川義子 | 1983 |
| 第3部 統合論とソーシャルワークの新たな視点 | |||
| 15 | 米国の方法論統合化への過程−システム論と実践理論の関係と応用 | 平山 尚 | 1976 |
| 16 | ケースワーク理論の動向(?) | 岡本民夫 | 1987 |
| 17 | ソーシャルワーク実践における生態学(エコロジー)とは何か | 小島蓉子 | 1989 |
| 18 | ソーシャルワーク実践へのエコシステムの課題 | 太田義弘 | 1990 |
| 19 | ソーシャルワーク理論における「人間:環境:時間」概念の研究 | 佐藤豊道 | 1994 |
| 第4部 ソーシャルワークの深化と拡大 | |||
| 20 | ソーシャルワーク過程―「生の過程」と「援助の過程」 | 川田誉音 | 1977 |
| 21 | ソーシャルワークの職務分析に関する試論 | 奥田いさよ | 1988 |
| 22 | 利用者からの視点 | 久保紘章 | 1990 |
| 23 | ソーシャルワーク実践におけるエンパワーメント・アプローチの動向と課題 | 小松源助 | 1995 |
| 24 | アルコール依存者の回復をエンパワーメントの視点からみる | 窪田暁子 | 1995 |
| 25 | SSTのグル-プワ-ク実践におけるアドボカシ-とエンパワ-メント--精神障害者のリハビリテ-ションを進めるために | 前田ケイ | 1998 |
| 26 | 生活支援としてのケアマネジメントの方法 | 白澤政和 | 2002 |
| 27 | ジェネラリスト・アプローチ | 副田あけみ | 2005 |
| 28 | エビデンスに基づくソーシャルワークの実践的理論化:アカウンタブルな実践へのプラグマティック・アプローチ | 芝野松次郎 | 2005 |
刊行のことば
岩田正美(日本女子大学教授)
わが国で社会福祉の研究を志す人々は、年々増えている。同時に、他の学問分野にとっても社会福祉の現実世界は研究対象としての魅力を増してきているようである。それは、社会福祉が、良くも悪くも、現代社会というものを等身大で映し出す鏡のようなものであり、その中に矛盾に満ちた現実も、それを突破しようとする希望も、共に見いだすことが出来るからではなかろうか。
とはいえ、そうした社会福祉の性格からか、社会福祉研究には、他の分野以上に「流行」に流される傾向があり、介護に焦点が置かれれば、皆がそちらを向く、といった側面がやや強かったように思う。しかも、その「新しさ」は、社会問題の趨勢ばかりでなく、国の社会福祉政策の動向に強く影響を受け、その方針に従って、研究の有り様も変化していくというような面があったことは否めない。また、外国の「新しい理論」に弱い、という特徴も持っている。このため、新たな政策動向や、諸学国の新しい理論を、いち早くキャッチすることには長けていても、それらの変化を貫いて見いだされる本質や、日本の特質を、実証と理論の双方から深く掘り下げ、そこから大胆に時代を切り開いていくような社会福祉の方向を提示することにおいては、やや問題があった。
本シリーズは、社会福祉の若い研究者たちが、以上のような社会福祉研究分野の弱点を克服していくために、日本の社会福祉研究の戦後の蓄積を改めて振り返り、それらを系統立って学び直すことをねらいとした。ただし「系統立って」というのは、必ずしも教科書的な意味ではなく、それぞれの巻で工夫がある。また、この領域設定は、狭義の福祉よりやや広く他の学問分野からの関心をも吸収するようなものとなっている。社会福祉研究を志す人々が、本シリーズを十分活用されることを願っている。
推薦のことば
温故知新の好機
古川孝順(東洋大学教授)
温故知新という言葉がある。もとより周知の言葉であるが、此度日本図書センターの快挙に出会い、改めてわが国における社会福祉学研究のあり方を考えさせられている。今回の企画は第二次世界大戦前後から現今に至るわが国社会福祉学研究のエッセンスを一冊に集めようというものである。社会福祉学が8分野に分かたれ、それぞれの領域ごとに研究の軌跡を辿れるように論稿が蒐集されている。論稿の選択についてはあるいは異論も出るかもしれない。しかし、それはそれで良しとしたい。論考の選び方から各巻の編集に責任をもった人びとの社会福祉学研究にたいするスタンス、視点、枠組みの違いが透けて見えてこようというものである。そうだとすれば、各冊を広げる読者の興趣は一度ならずである。今、こう書きながら、私は故吉田久一教授の言葉を想い起こしている。社会福祉の思想史・理論史研究の開拓者として知られる吉田教授は、「社会福祉では先行研究を大切にしない、思いつきの議論が多い。だから学問として深まらない」、しばしばこう言って嘆かれていた。この企画は、そのような吉田教授の溜め息に応えるにまたとない好機を提供するものである。これからの日本の社会福祉学研究を支える研究者たちに、そしてこれから社会福祉学の研究に志そうとする若い世代の諸君に、吉田教授の溜め息を乗り越える新たな研究の展開を期待したいのである。私は、そのことを願いつつ、この好企画を推薦したい。
社会福祉学の到達点を一望する
武川正吾(東京大学教授)
今日の社会で“福祉”は“平和”や“環境”とともに最も多くの人びとから支持を集めている理念である。それは国の内外を問わない。ネオリベラリズム(新自由主義)の影響で、米国などでは“福祉”の原語であるウェルフェアには否定的な響きが伴うこともあるが、その米国でも“福祉”に対応するもう一つの語であるウェルビーングは、肯定的に受け止められている。
“福祉”は多くの人びとからの賛同を得られる理念ではあるのだが、それを実現するための手段については、人びとのあいだで大きく意見が分かれることが少なくない。この点も“平和”や“環境”の場合と同じである。
現在の日本社会には“福祉”という価値の実現を阻む課題が山積している。貧困や失業に苦しむ人びとは少なくないし、ホームレスの生活を余儀なくされている人びとの数も少なくない。弱い立場にある人びとが、社会的に孤立したり虐待の被害者となるケースもある。子ども、高齢者、障害を持つ人などが、必要なケアを受けられないこともある。
いま私たちに求められているのは“福祉”という価値を実現するための制度や政策のありかたについての合意形成であろう。そうしたなかで本シリーズはまことに時宜を得た企画である。日本の社会福祉学は、実践と政策の架橋を強調するところにその特徴があるが、そうした日本の社会福祉学の到達点をこのリーディングスによって一望することができるからである。
「社会的なもの」―その両義性をとらえるために
市野川容孝(東京大学教授)
単に「福祉」でも意味が通じるのに、なぜ私たちは「社会」福祉と言うのか。「ソーシャル・ワーク」の「ソーシャル」とは、あるいは「社会事業」「社会政策」「社会保障」の「社会」とは、どういう意味なのか。ドイツやフランスでは「社会的な国家」と言うのが普通なのに、なぜ私たちは「福祉国家」という日本語しか知らないのか―。言うべきことは多々あるが、本企画名にも「社会」の二文字が刻まれ続けていることは大切だと思う。
社会契約論と言えば、ホッブズ、ロック、ルソーがと覚えさせられるのが常だが、ホッブズやロックが単に「契約」としか言わなかったのに対して、ルソーが初めて「社会的な契約」と言い、その契約によって「人間は体力や精神については不平等でありうるが、約束によって、また権利によってすべて平等になる」と宣言した。ただし、国家のために市民は死ぬべきであり、共通の価値に背を向ける者は容赦なく迫害せよ、という言葉とともにである。平等を求めつつも、いや平等を求めるがゆえにこそ、発生してしまう過剰な統合と画一化の暴力。私たちは、その間をすり抜けることができるのか。
「社会的なもの」のそのような両義性。あるいは、この理念が日本語では「福祉」や「厚生」という言葉の背景に押しやられ、見えづらくなっていった経緯。そのようなことを、本リーディングスの精読を通じて、あらためて批判的に考えてみたいと思う。







